日時 :平成30年12月1日 9時00分~15時37分
ルート :野洲駅(9:00)~登山口(9:37)~△女山(10:09)~△三上山(11:25)~古代峠(12:11)~△東光寺不動山(12:33)~△妙光寺山(12:39)~△田中山(13:29)~△旗振山(13:34)~福林寺跡磨崖仏(14:16)~妙光山寺磨崖仏(14:49)~野洲駅(15:37)
今日は、「三上山(近江富士)」に行ってきました!
何気なくJRに乗っていて、その山容に一目ぼれしたのがきっかけです(笑)
なにやらフレンドリーな通りをトボトボ歩きます
途中、ガ〇ダム?もお出迎えしてくれました
突如として現れる、円錐形の美しい山容
これだよ!これを見に来たんだよ><
登山口に到着。
それでは恒例の、今日も楽しく!
いってきマウンテーン~(ポーズ決め)
しーん・・・( ^ω^)
気を取り直して、歩きます。
天保義民碑
すごい人がいたんだな・・
正義を貫くため、郷土の為、そこで暮らす人たちの為、
命を懸けられるなんて、、黙祷
(注釈)飢饉にあえぐ天保13年(1842年)、10月15日、不正な検地をしようとした役人らに抗議するため、三上村庄屋土川平兵衛らが先頭になり、農民とともに一揆を起こしました。その結果、「検地中止書」を書かせることに成功しましたが、平兵衛らはとらえられ、拷問の中で厳しい取調べが続き、亡くなりました。農民のために命を賭け、天保一揆を成功させた平兵衛らの偉業をしのぶ保民祠や碑が建っています。また、休憩所などを備えた天保の熱(ほとおり)広場も近くに整備されています。
毎年、10月15日には、犠牲者の霊を慰める天保義民祭が天保義民碑前で行われています。
分岐で裏登山道を選び「女山」に向かうも、特に何もなし。。
低山あるある(笑)いや、過程が大切なんだと言い聞かせる><
姥の懐
(注釈)この辺りは谷が深く、また大きな岩がいたるところに地表から突き出し、古くから「姥の懐」と呼ばれています。
天保一揆の時、江戸幕府地検役人の市野茂三郎らが前方の岩陰に逃げ隠れたといわれています。
天然の岩蔵。中に入ってみると完全な空間となっており、ビバークもできそう! でも岩の重圧感がすごい・・
山頂も目前に控えるも、どうやら表登山道の方が見どころが多いと知り
引き返すことに・・orz
割岩(肥満度確認可能)と書かれた看板が。
かなり狭くて大丈夫か?思ったけどザックを押し込み、横向きになったらギリギリ通れました^^;
山頂直下から湖東を見渡す。
次は、金勝アルプスか、湖南アルプスの笹間ヶ岳行きたいな。
山頂に到着
山頂に到着するも、呼吸を整えてすぐに次に向かうことに。
北尾根縦走路。山々に囲まれた中の尾根歩きは最高に気持ちよくて
思わす叫びそうに・・(笑)初めて六甲山に行った時のような、新鮮な喜びを思い出しました^^
後ろを振り返ると三上山の山容が!その美しいたたずまいに感動すると同時に
見守ってくれている気がして、ありがたや。。
天然の石のトンネルである古代峠
トリケラトプスのような巨石
いよいよ残すは田中山のみだと、ルンルン気分で歩いていると
広場で、何やら延々講釈を垂れているおじじ様が・・
疲れが増しそうだったので(笑)やりすごすため、急きょルート変更をして
東光寺不動山、妙光寺山も回ることに(;;)
戻ってくると誰もいなくなっており、歩を進める。
田中山山頂。今までの疲労か、急登のせいか一番キツかった。
でも、本当に静かな山歩きが出来る場所で、ここ気に入りました!
急登、急下りをへて旗振山の山頂に到着。
あとは下山のみ。ついでなので、史跡もめぐることに。
紅葉もまだまだ見頃
福林寺跡磨崖仏。室町時代初期(14世紀)の作だそうです。
削り取ろうとした痛々しい跡も・・
妙光山寺磨崖仏。鎌倉時代の作の高さ160cm、厚さ10cmに彫り出した地蔵立像で書込地蔵とも呼ばれているそうです。
湖東の景色に、しばし別れを告げる。
また来るからねーー
滋賀に住みたいと思ってしまうほど、癒された、素敵な山行でした。
駅に向かう途中、セアカゴケグモに注意の看板が。
・・あれ?? さっき山で見た大きな蜘蛛
これと似てねえか( ^ω^)・・・
今日も無事に下山できたことを山に感謝!